しぐれ庵

ロンリー・ウーマンが棲む自由空間から発信します。

平成最後の日、尾崎豊を偲ぶ

4月25日は尾崎豊(1965~1992)の祥月命日だった。
平成最後の日、わたしは手元にある本を読み返しながら、尾崎豊について考察した。

①『尾崎豊・魂のゆくえ』(山下悦子/PHP研究所/1994年)
②『弟尾崎豊の愛と死と』(尾崎康/講談社/1994年)

①は対談集で、山下悦子の対談相手は吉本隆明・山折哲雄・芹沢俊介・森岡正博・尾崎健一(豊の父親)。
当然ながら密度が濃い内容になっている。

②は兄の視点で豊をみていて、興味深い。
母・絹枝の急死からはじまり、豊と母親の関係について記している。
母親は終生不眠に悩まされたが、豊はこれを受け継いでいる。
母の急死(61歳)は1991年12月29日で、翌年の1992年4月25日に豊も急死。

上記に加えてわたしの手元にあるのは、2011年12月号『文藝春秋』に掲載された尾崎豊の「遺書」の全文と死因についての記事。
執筆者はジャーナリスト・加賀孝英。

尾崎豊の死因は、大量の覚醒剤服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫だという。
尾崎豊の死は謎に満ちている。
「26歳で夭折」というのが尾崎豊にはふさわしいと、わたしは思う。

わたしが尾崎豊について感じたのは、声がいい・存在の痛ましさ・説明できない飢餓感・凶暴な怒り。
最も好きな曲は「シェリー」。

1989年7月24日に誕生した長男・尾崎裕哉(豊が命名)は、成長してシンガーソングライターになった。
顔は似ていないが、父親そっくりの声で歌う「I LOVE YOU」を聴いたときは驚愕した。
豊には欠落していたバランス感覚が裕哉にはあり、安心してみていられる。
そのぶん迫力がないが、永く歌いつづけてほしい。

尾崎豊が他界した日の早朝、泥酔状態で倒れていた足立区の民家の庭は、兄・康によると練馬区の家の庭に似ていたという。

関係ないが、わたしの誕生日と血液型が尾崎豊と同じだ。
尾崎豊が小5に朝霞市に転居するまで住んでいた練馬区の家の近くに、わたしは9年間住んでいたので、育った地域の雰囲気はわかる気がする。
わたしが住みはじめたのは尾崎豊が転居した10年後なので、至近距離に広大な光が丘団地が存在していた。

尾崎豊は転校した朝霞市の小学校でうまくゆかず、練馬東中学校に越境入学した。
1時間かけて通学したという。
かつて小学校で同級生だった仲間が好きだったのだろう。
第一志望の慶應義塾志木高等学校に不合格で、青山学院高等部に進学。
青学の生徒は裕福な家庭が多く、尾崎豊はアルバイトをしたという。
高等部3年で自主退学。
ちなみに尾崎豊の長男・裕哉は、2008年、慶應義塾大学環境情報学部に入学、2013年に慶應義塾大学大学院に入学し、2015年に終了。

尾崎豊と妻・繁美の関係は、阿部薫と妻・鈴木いづみの関係と同様に、わたしには手に負えない。
ひとのこころを打つ作品がすべてではないだろうか。
表現者として尾崎豊の評価が高まることを祈る。