しぐれ庵

ロンリー・ウーマンが棲む自由空間から発信します。

平成最後の日、尾崎豊を偲ぶ

4月25日は尾崎豊(1965~1992)の祥月命日だった。
平成最後の日、わたしは手元にある本を読み返しながら、尾崎豊について考察した。

①『尾崎豊・魂のゆくえ』(山下悦子/PHP研究所/1994年)
②『弟尾崎豊の愛と死と』(尾崎康/講談社/1994年)

①は対談集で、山下悦子の対談相手は吉本隆明・山折哲雄・芹沢俊介・森岡正博・尾崎健一(豊の父親)。
当然ながら密度が濃い内容になっている。

②は兄の視点で豊をみていて、興味深い。
母・絹枝の急死からはじまり、豊と母親の関係について記している。
母親は終生不眠に悩まされたが、豊はこれを受け継いでいる。
母の急死(61歳)は1991年12月29日で、翌年の1992年4月25日に豊も急死。

上記に加えてわたしの手元にあるのは、2011年12月号『文藝春秋』に掲載された尾崎豊の「遺書」の全文と死因についての記事。
執筆者はジャーナリスト・加賀孝英。

尾崎豊の死因は、大量の覚醒剤服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫だという。
尾崎豊の死は謎に満ちている。
「26歳で夭折」というのが尾崎豊にはふさわしいと、わたしは思う。

わたしが尾崎豊について感じたのは、声がいい・存在の痛ましさ・説明できない飢餓感・凶暴な怒り。
最も好きな曲は「シェリー」。

1989年7月24日に誕生した長男・尾崎裕哉(豊が命名)は、成長してシンガーソングライターになった。
顔は似ていないが、父親そっくりの声で歌う「I LOVE YOU」を聴いたときは驚愕した。
豊には欠落していたバランス感覚が裕哉にはあり、安心してみていられる。
そのぶん迫力がないが、永く歌いつづけてほしい。

尾崎豊が他界した日の早朝、泥酔状態で倒れていた足立区の民家の庭は、兄・康によると練馬区の家の庭に似ていたという。

関係ないが、わたしの誕生日と血液型が尾崎豊と同じだ。
尾崎豊が小5に朝霞市に転居するまで住んでいた練馬区の家の近くに、わたしは9年間住んでいたので、育った地域の雰囲気はわかる気がする。
わたしが住みはじめたのは尾崎豊が転居した10年後なので、至近距離に広大な光が丘団地が存在していた。

尾崎豊は転校した朝霞市の小学校でうまくゆかず、練馬東中学校に越境入学した。
1時間かけて通学したという。
かつて小学校で同級生だった仲間が好きだったのだろう。
第一志望の慶應義塾志木高等学校に不合格で、青山学院高等部に進学。
青学の生徒は裕福な家庭が多く、尾崎豊はアルバイトをしたという。
高等部3年で自主退学。
ちなみに尾崎豊の長男・裕哉は、2008年、慶應義塾大学環境情報学部に入学、2013年に慶應義塾大学大学院に入学し、2015年に終了。

尾崎豊と妻・繁美の関係は、阿部薫と妻・鈴木いづみの関係と同様に、わたしには手に負えない。
ひとのこころを打つ作品がすべてではないだろうか。
表現者として尾崎豊の評価が高まることを祈る。

 

 

有働由美子に期待はずれ

有働由美子がNHKの「あさイチ」のキャスターを担当していたのは、2010年3月29日から2018年3月30日まで。
その間、「あさイチ」を録画して、わたしは有働由美子アナウンサーに注目していた。
有働由美子が担当していた「あさイチ」は、骨のあるテーマをとりあげていたのに感心した。
有働由美子とイノッチとのかけあいも楽しめた。
柳澤秀夫については発言内容がちょっとはずれていたが、それも許せるほど雰囲気のよい番組だった。
オープニングの「朝ドラ受け」もおもしろく、楽しみにしていた。
こんなおもしろい「あさイチ」を制作する存在が気になった。
チーフ・プロデューサーの河瀬大作の成果が大きいようだが、スタッフの結集力だろう。

2018年10月1日、「みなさんと会話するニュース」としてリニューアルした、日本テレビの報道番組「news zero」がスタートした。
同年3月31日、27年在職したNHKを退職してフリーアナウンサーになった有働由美子が、メインキャスターを務めているので、録画して観つづけてきた。
が、期待はずれという感が強い。

どこか借り物のような居心地の悪い有働由美子を感じてしまうのは、わたしだけだろうか?
月曜レギュラーの櫻井翔が有働由美子の横に座ると、メインにみえるほど落ち着きがある。
ゲストにユニークな人間が多く登場したが、活かしきれていない。
番組終了後にかぶさるゼロテーマ曲も、深夜番組にしてはテンションが高すぎて違和感がある。

  §

わたしが最も興味があるのは火曜レギュラーの落合陽一である。
最初に落合陽一を観たのは、わたしが好感をもつ古市憲寿が司会をしている、NHKEテレ「ニッポンのジレンマ」に出演していた姿だ。
そのとき何者か知らなかったのだが、魔女みたいなブラックのワンピースに近い服を着て、早口で雄弁に語っているのに魅了された。
自分のことを「先生」といったので、大学の先生だろうと思った。
のちに調べてみたら、やはり大学の先生だったが、ハンパない業績を残していた。
高校時代からヨウジヤマモトの服しか着ないので、いつもブラックに身を包んでいる。

睡眠時間を生存を脅かすほど短縮し、過労死してもおかしくない生活ぶりの落合陽一がテレビ出演しているのは、高齢者などネットに親しんでいないひとたちにも声を届けたいからだという。
落合陽一の本業を知らずに「ああ、テレビにでていたひとね」といわれるのを、肯定している。
「AI社会になれば奪いあいがなくなり、ピースフルな社会になる」と語っていたのが印象深い。

落合陽一の息子さんは、2017年4月に口唇口蓋裂で生まれてきた。
抵抗を感じるようなリアルな写真を、落合陽一はTwitterに投稿している。
その目的について、「口唇口蓋裂児の父になったときに数時間パニクったので、ネットで検索可能な行動事例が父親の視点とともにアーカイブされていると当事者に救いになると思ったから」とのこと。
息子のプライバシーを侵害していることについては、のちに了承を得たい、と。

写真でみる息子さんは、父親を超えそうな予感がある。
息子さんの写真が科学者の視点で撮られているようにみえるのが、わたしは気に入っている。

2018年10月、息子さんは口唇口蓋裂の手術を受けた。
手術を控え、病室で出産まじかの妻の写真を落合陽一が、Twitterに投稿していた。
その憂い顔が、わたしのこころに突き刺さった。

手術直後の10月23日、落合陽一は「news zero」に出演した。
最後に息子さんについて軽く触れただけで終わってしまったのが、とても残念だった。
短時間でも口唇口蓋裂の息子さんの写真について語れば、同じお子さんをもつ親だけではなく、広く理解を深めることができただろう。
テレビの視聴者数は侮れないのだから。

落合陽一がTwitterに投稿した息子さんの口唇口蓋裂の写真は、貴重なデータである。
治癒してゆく経緯が一目瞭然なので、同じお子さんをもつ親にとり心強いだろう。
また落合陽一は、入院中の息子さんのためにたくさんの玩具を買いこみ、退院時に病院に寄付したという。
なかなかできないことだろう。

息子さんは赤ちゃん時代からスマホ・タブレット・ロボットを与えられ、親しんできた。
入院中も、スマホ・タブレットは必須である。
自宅でも、人間コンピューターとして認識している息子さん相手に、実験をつづけている落合陽一なのである。

  §

落合陽一は火曜日にレギュラー出演したあと、「今日もかわいい有働さん」と称してTwitterに自らのカメラで撮影した写真を投稿している。
たしかに有働由美子はかわいいのだが、番組終了時になにも残らないという虚しさがある。

2018年末の「newszero」は特別版で、落合陽一と矢部太郎が出演していた。
「あさイチ」時代を彷彿とさせた有働由美子だった。
イノッチと柳澤秀夫を相手にしていたときのように、有働を支持するふたりの人間との絡みでニュースではない内容の場合に、彼女は輝けるのではないだろうか。
ちなみに、有働・イノッチ・柳澤が去ったあとの「あさイチ」はつまらないので、録画していない。
有働アナ時代には企画がすばらしかったが、いまはフツウの番組になってしまった。

あらためて有働由美子の魅力とはなにか、考えてしまう。
わたしは録画して観ているが、リアルタイムで観ているひとは、「newszero」になにを期待しているのだろう?

最近は、落合陽一がレギュラー出演している火曜日しか録画していない。
いつも笑顔だった有働由美子が、いつのまにかマジメな顔になっている。
ニュース番組の顔としてはいいのかもしれないが、視聴率の低迷が一因なのだろうか。

有働由美子の本質を最もよく理解しているのは、マツコだと思う。
マツコは、有働由美子にどのようなアドバイスをしているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不適切動画によるバイトテロと村田沙耶香『コンビニ人間』

不適切動画の拡散が相次いでいる。
当事者は仲間内のつもりで投稿した動画が、不特定多数により拡散された。
その動画がテレビで繰り返し放映されたことで、企業イメージに大きな打撃を与えた。
コンビニや外食産業など、いずれもチェーン店が動画の現場である。

わたしも度がすぎた悪ふざけには眉をひそめるが、それだけではすまないと思う。
勤務中に動画を撮影できるということは、管理者が不在だということを意味する。
非正規社員が圧倒的多数の職場で、低賃金に喘ぎながら仕事をしている構図が浮かぶ。
社員教育と同時に、非正規社員に正当な賃金を払ってほしい。
そのことにより、安さを求める消費者にも影響が及ぶだろう。

被害を受けた大戸屋は、3月12日に一斉休業し、「全従業員に対する教育や研修の再徹底」や、「店舗や事務所の清掃」を行うという。
この休業などにより失う利益はおよそ1億円に上る見込み。
大戸屋の本気度をアピールするつもりだろうが、研修の内容が気になる。
非正規社員の給与アップについては、わたしの知る限り触れていない。

一方、被害を受けていないスターバックスコーヒージャパンが、8年ぶりに主力商品を値上げする。
「従業員の働く環境を改善するための投資にあてる」とのこと。
こちらには有効性を感じる。
スターバックスコーヒージャパンについては、2014年、800人の契約社員を全員正社員にするという記事を新聞で読み、わたしはその大胆さに驚いた。
条件をつけないところが気に入った。

   §

大阪府東大阪市のセブン-イレブンのオーナーが、人手不足から24時間営業をやめ、朝6時から深夜1時までの営業に変更したところ、セブン-イレブン本部から契約解除と違約金1700万円を通告された、というニュースが社会問題になった。

セブン-イレブンに限らず、大手コンビニではオーナーが過労死しても、オーナー側が搾取されても、契約上は問題なく合法だという。

セブン-イレブン・ジャパンは、3月中旬から全国の直営店10店で、営業時間を午前7時~午後11時とする実験を開始する。
理由は「原則24時間営業を続ける経営方針に変わりはないが、社会構造の変化、環境変化に備えて、実験を開始する。東大阪市の加盟店オーナーとの問題も実験開始のひとつの契機となった」。
元々の7時~11時営業に賛同する消費者の声が、大きかったのだろうか。

深夜勤務中に店員が強盗に遭った、という事件があった。
賃金が安くてバイトが集まらない、電気のムダ使いなど問題が多い。
24時間営業でないと困る深夜労働者の声が、テレビで紹介されていた。
7時から23時まで営業しているのなら、消費者はそれに合わせた行動をとるほかない。

   §

芥川賞を受賞した村田沙耶香の『コンビニ人間』をおもしろく読んだ。
主人公の古倉という女性は、「コンビニ人間」と称するロボットとして、有能なアルバイト店員である。
「使える道具として働いている」と彼女は意識している。
大学1年生からアルバイトをはじめ、卒業後もつづけているので、勤続18年のベテランだ。
村田沙耶香が芥川賞を受賞時にコンビニで働いていたので、現場がリアルに描かれている。

小説の最後に、「コンビニ人間」というロボットは暴走する。

不適切動画を投稿した若いコンビニのアルバイト店員は、ロボット化を強いる社会へ抵抗したのかもしれない。
彼らににその意図はなかったとしても。

NNNドキュメント「化学物質過敏症~私たちは逃げるしかないのですか~」

毎週、わたしが録画しているNNNドキュメント(日本テレビ)だが、2019年2月25日(月) 00:55~01:50 に放映された「化学物質過敏症~私たちは逃げるしかないのですか~」は凄絶だった。
わたしは年々症状がひどくなる花粉症に悩まされているが、化学物質過敏症は較べようもなく深刻である。
地球という星から脱出して、地球より次元の高い星で暮らすしかないのではないか、と思えるほど逃げても逃げても化学物質が追いかけてくる。
それほど現代人の身の周りは化学物質であふれている。

数組の家族が登場するが、顔をテレビカメラに晒して語るのは勇気のいることだっただろう。
化学物質過敏症に対する理解と、だれが突然発症してもおかしくないという現実を観る側に突きつけてくる。
多くのひとに観てほしい番組である。

とりわけ子どもの化学物質過敏症は痛ましい。
高知市の澤村さん一家は、母親と2人の娘が化学物質過敏症だ。
通学できなくなった長女•あかねさんのために澤村さんは校長や教育委員会と話し合いを重ね、学校は特別支援学級として教室をリフォームした。
自身も化学物質過敏症の建築家•足立和郎さんが設計を担当した。
完成した教室であかねさんがマスクをはずし、妹と走りまわる姿にわたしは安堵した。
だが通学し、勉強の遅れはなくなったとしても、友だちと一緒に学んだり、遊んだりすることはできないのだ。
あかねさんは自分の化学物質過敏症を理解してもらうために数枚のポスターを描き、教室に貼り付けた。

澤村一家は、小林ゆうきくんの家を訪ねた。
母親の桂子さんも化学物質過敏症で、職場では防毒マスクを着用している。
ゆうきくんは4歳で化学物質過敏症を発症し、月の3分の1は学校を休む。
ペンキに反応して鼻血が止まらなくなった顔を、携帯に撮って保存している。
なぜか顔が笑っている。
もう笑うしかないという感じなのか。
ゆうきくんの通学する学校の校長は、ゆうきくんの症状を理解してもらうために、あかねさんの父親•智彦さんを学校に招いた。
「事情がわかってよかった」と語るクラスメイトがいた。

金沢市に住む中田秀子さんのケースは、自殺を考えるほど深刻だ。
秀子さんは40年間夫とともに友禅染の仕事をしてきた。
友禅染に使われている化学物質により化学物質過敏症を発症したらしく、ある日突然、呼吸困難になった。
秀子さんは専門医を受診することができないので、化学物質過敏症と診断されていない。
化学物質過敏症の専門医は少なく、受診できないひとが多く存在するらしい。
長時間たくさんの人に接し、化学物質にさらされることは、化学物質過敏症を患う身には耐えられない。
秀子さんの夫は家探しをしたり、重曹を使った衣類の洗濯をしたりして疲弊していた。
夫から離婚という言葉を聞いた秀子さんが自殺を口にしたので、夫は撤回した。
タバコを吸う娘さんと秀子さんは冷たい関係になっている。
泣くしかない秀子さんの今後が憂慮される。

化学物質過敏症はだれでも発症する可能性があり、患者は人口の7.5%と推測されている。
いまのところ国は無策である。

 

孤立出産に救いの手を

1月24日午後1時20分ごろ、埼玉県新座市のコンビニエンスストア「セブンイレブン新座大和田3丁目店」のトイレに、生後間もない女の乳児が置かれているのを男性が発見し、店長が110番した。
乳児は病院に搬送されたが命に別条はないという。

衝撃的なニュースだ。
数十分トイレに閉じこもっていた女性が生み落としたらしい。
ひとりで周囲に気づかれずに出産するほど追いつめられていた女性の身上は予想もできないが、わたしは慄然とした。
女の乳児は生存していたという。
その後、母体のほうはだいじょうぶだったのか、とても心配になった。

トイレで生み落とされた赤ちゃんを診たことのある産婦人科医の話によると、便器の雑菌に感染して脳障害を発生するケースがあるという。

以前に杉山春『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書・2013年)を読み、体調が悪くなった。
最後まで読み通せたのは、杉山春が加害者の母親を非難するスタンスではなく、彼女の周辺を丹念にルポしていたからだ。
杉山春なら、このニュースをどのように解釈するのだろうか。

  §

2018年9月、新聞に掲載された小さな記事にわたしは注目した。
東京都台東区のコインロッカーに乳児の遺体を遺棄した49歳の女性が、逮捕されたという記事だ。

9月24日、住所不定・無職の女性が、「4、5年前に台東区内のホテルで子どもを産んだが、動かなかったのでパニックになり、捨てられずにロッカーに保管していた」と尾久署に届け出た。
知人宅で寝泊まりしていて、何日かおきに料金を入れ続けたという。
料金は1日200円で、未納が1000円を超えると荷物が回収される仕組み。
ロッカーはJR鶯谷駅北口近くの路上にあり、管轄する下谷署員が遺体を発見した。

「コインロッカーに生後間もない乳児を遺棄」というニュースなら、哀しいけれど驚きは少ない。
が、4~5年間、料金を入れ続けるという行為に、49歳の彼女の良心の呵責を感じ、暗澹たる気分になる。
女性の妊娠の裏には、妊娠させた男性の存在がある。
けれども、リスクを負うのは女性のみという結末に、同じ女性としてこころが痛い。

  §

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』の単行本が刊行されたのは1980年。
文庫版は1984年に刊行された。
発行部数は200万部というから、驚かされる。
1971年にコインロッカーに乳児が入れられた事件が発生し、追随者が全国的にあらわれて社会問題になった。
『コインロッカー・ベイビーズ』はコインロッカーに捨てられたが、生存していた2人が主人公である。

『コインロッカー・ベイビーズ』の舞台化は2016年で、2018年に再演された。
「現代を生きる若者の代弁者」として2人のコインロッカー・ベイビーズがとらえられている。
コインロッカー・ベイビーズは風化していないのだ。

わたしは村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』を読んでから、彼の小説を読む気になれない。
テレビ東京で毎週木曜日に放映されているトーク・ドキュメンタリー番組「カンブリア宮殿」で、村上龍はホスト役で、アシスタントが小池栄子。
録画して観ているので、こちらで村上龍の顔に親しんできた。

  §

2018年05月02日に放映されたNNNドキュメンタリー「ゆりかごから届く声~赤ちゃんポスト」を観た。
赤ちゃんポストを開設した熊本市にある慈恵病院を描いていて、秀逸な作品だ。

蓮田太二理事長は、匿名性が大事だと強調する。
病院の入口から赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」まで、人目につかないような通路が設定されている。
預けかたが映像で紹介されていた。
受けとる病院側の映像もあり、ドキッとする。
赤ちゃんポストの両サイドの風景に落差がありすぎるから。

赤ちゃんポストが誕生したのは、2007年5月である。
当時、新聞のニュースで知り、わたしは衝撃を受けた。
もちろん賛成派である。
きっかけは2006年に県内で起こった赤ちゃんが放置され死亡した事件だという。
慈恵病院には24時間受け付けている、匿名の電話相談窓口がある。
追いつめられた女性に対して、最大限の配慮がなされている。

  §

赤ちゃんポストのモデルケースはドイツ。
ドイツ国内100ヵ所あまりに、ポストを設置している。
ドイツでは行き場のない妊婦を出産後まで支援するシェルターがある。
赤ちゃんポストを利用した親が8週間以内に引きとりを申し出なかった場合、親権放棄とみなされる。
養子として新たな家庭に赤ちゃんを送りだす。
預けられたすべての子どもの生活環境について継続的に調査し、成人するまで支援する。
望まない妊娠をした女性たちがSOSを発しやすく、多様なシステムで支援しているドイツに、日本も近づいてほしいと切に願う。

ネットで検索すると、支援する組織は幾つかみつかり、その活動には脱帽する。
協賛する企業が増えてほしい。

橘ジュンさんが、育てられない子どもを妊娠した女性たちを支援する、ドキュメンタリー番組を観たことがある。
民家に数人の妊婦が生活を共にし、産後は情が移るのでわが子を抱かないまま、養子縁組先の家庭に迎えられる。

ルポライターの橘ジュンさんについては、街を彷徨う少女たちに声をかけ、救済しようとする活動を知ってはいた。
2009年、NPO法人「BONDプロジェクト」を設立し、活動の輪を拡げているようだ。

大島みち子『若きいのちの日記』

1942年2月3日、西脇市に生まれた大島みち子さんは、1963年8月7日、21歳で他界した。
いま、生きていたら76歳である。

わたしが小6のとき、「愛と死をみつめて」が一世を風靡した。
わたしと同じクラスのYくんが視線だけでわたしに好意を示していたが、会話をしたことは一度もなかった。
名前はちがうが、ちょうどわたしたちの名前が「マコとミコ」と呼べたため、クラスメイトからはやしたてられ、とても不愉快だった。
気配だけなのにクラスメイトが気づいていたとは、小6といえども侮れない。
2年間、同じクラスにいながらYくんとは言葉を交わすことはなかったが、わたしの初恋のひとだと気づいたのは、中1になってからである。

中学生のとき、『愛と死をみつめて』と『若きいのちの日記』を読んだ。
いずれも大和書房から刊行された単行本である。
大島みち子さんと河野実さんの往復書簡集は、みち子さんの死から4ヵ月後の1963年12月に初版刊行されているので、緊急出版だ。
日記のほうは、翌年の1964年1月に初版刊行された。

わたしにとり書簡集のほうはそれほどインパクトはなかった。
ミコとマコにとって生命線だった往復書簡は、他者からみるとそれほどでもないのだろうか。
あるいは、わたしだけの感想なのか?

ミコが軟骨肉腫により、左眼を含め顔の左半分を失うという酷い手術を受ける決意をした手術前と、手術直後の手紙が最高潮だったと感じたのを、いまでも記憶している。
ミコはマコの愛に応えるため、成功率が15%の難手術に挑戦した。
「手術台で死ねたら本望」と日記に記している。
実際、脳膜炎か出血多量で手術台で息絶える確率が大きかったのだ。
ミコの死が近づくと、ふたりの書簡はトーンダウンしてゆく。
マコがミコを失う苦しみに耐えられなくて自殺未遂したりして、ふたりの愛が彷徨いはじめたからだろうか。

    §

わたしが衝撃を受けたのは、みち子さんの日記のほうだ。
明朗な外見とは裏腹に、「KIROKU」というタイトルのノートに記された日記はとても暗く、孤独感が漂っている。
中学生のわたしは、夜、ひとりでトイレにゆくのが怖いほど怯えていた。
大島みち子さんのような、美しく聡明で人柄のよい女性が、どうして顔の半分を失って21歳の若さで逝ったのか。
長年の宿題だったが、いまだに答えはみつからない。

みち子さんの日記のなかで最もインパクトを受けたのは、「片眼のないおばけ」というタイトルの詩である。
1963年5月15日に記されたということは、死の3ヵ月まえ。
最後の日記は6月26日である。

いま、わたしの手元に初版の単行本はない。
最近、Amazonで入手した『若きいのちの日記』(2006/03/15発行•だいわ文庫)を、繰り返し読んだ。
わたしの記憶では巻末に主治医の所見があったが、文庫では省かれていて残念だ。
巻末に河野実さん、みち子さんの父・忠次さん、母・しげ子さんの手記がある。
忠次さんの「みち子の闘い―父記す」だけが長文で、中学生のときににもその筆力に驚嘆した。
同時に、なんと頭のいいかたなのだろうと。
みち子さんの日記から受ける筆力より、忠次さんのほうが優れているとわたしは感じる。
いま、さらにその想いを強めている。
元気なころのみち子さんは、独身のジャーナリストになり、社会をきれいにしてやろうという野心をもっていたという。

母・しげ子さんの「最期のとき―母記す」によると、息を引きとったときに病室にいたのはしげ子さんのみ。
ちなみにミコとマコが最後に会ったのは8月3日、死の4日まえである。
父・忠次さんの手記によると頭痛により悲痛な叫び声をあげていたそうだが、しげ子さんが見守る臨終の床では何の痛苦もなく眠り続けていた。
11時20分、ふりしぼるような声で「おかあちゃん」とかすかに呼ぶ声にふりむくと、わずかに唇がびくびくと動いていた。
のどがかわいたのだと思ったしげ子さんが、ガーゼを台所へしめしに行って引き返すと、息を引きとっていた。

しげ子さんの手記は短いが、余韻がある。
みち子さんは動かない口で、なにかをお母さんにいいたかったのだろう。
息を引きとる瞬間をだれにもみせなかったところがみち子さんらしいと、わたしは思う。

    §

この記事を書くために調べていたら、2005年12月に『「愛と死をみつめて」終章 もうひとりのマコ』という本が大和書房から刊行されていることを知り、Amazonで入手した。
「愛と死をみつめて」が刊行されてから42年後に、マコがミコと共有した時間を回想した内容だ。
一気に読んだ。
みち子さんの日記がいつまでも余韻を残し、エンドレスなのが息苦しいのに対し、実さんの回想はなぜか余韻がない。
わたしがわかったことは、東京と大阪間の交通費と宿泊代、そして長距離電話の代金を捻出するために、大学生のマコがたくさんのアルバイトをこなしたこと。
マコがミコを女性として愛した以上に、ミコの人間性に畏敬の念があったということ。

河野実さんが読者の女性と結婚されたことは、当時のニュースで知っていた。
出版から5年半後だった。
ミコは常にマコの幸せを祈っていた。
本がベストセラーになっただけに、実さんはバッシングを受けたようだが、お門違いだと思う。
また、多額の印税を手にした実さんを、マスコミが叩いた。
血縁者や近所の人が、印税をむしりとりに群がってきたという。
マコはミコとはちがう種類の孤独感を味わったようだ。

    §

「愛と死をみつめて」がドラマ化され、複数の女優がミコを演じた。
わたしが最もミコにぴったりだと感じたのは、映画化されたミコを演じた吉永小百合である。
最も記憶に残っているのは、モノクロの映画は暗いトーンで、死期が近づいたミコが激しい頭痛に苦しむ姿と、マコからの電話をとるために詰所まで必死に歩いてゆく姿だ。
映画「愛と死をみつめて」は、1964年9月19日に公開された。
吉永小百合が本を読んで感動してミコ役を志願し、日活の反対と、遺族の映画化反対を押し切ったらしい。

撮影終了後、吉永小百合は西脇市のみち子さんの実家を訪ね、お父さん、お母さん、妹さんに歓迎される。
「きょう一日、みち子になってください」といわれ、みち子さんの赤いかすりの着物を着て、みち子さんの部屋で一泊。
翌日は、妹さんとふたりで加古川の土手を散歩し、映画のなかでも歌った西脇高校の校歌を歌ったという。
「死ぬほど家に帰りたい」と日記に書いたみち子さんは、いくら周囲に勧められても帰らなかった。
阪大病院に入院してから、一時帰宅はしなかった。
懐かしく、愛情たっぷりの両親が待つ家に帰ったら、阪大病院で病魔と対峙する孤独な生活に耐えられない、と思ったのだろうか。
そんなみち子さんは、吉永小百合の肉体を借りて念願の帰宅を果たした。
ひとりの人間を演じることの重さと至福を、わたしはあらためて感じる。
みち子さんのご家族にとり、かけがえのない癒しになっただろうと胸が熱くなる。

これだけの文章を書くのに、とても時間を要し、身を削る想いをした。
が、これを書かないと、つぎの記事に進めないのだ。
まだまだ不完全だが、これで終了とする。

 

 

映画「あん」とハンセン病について考える

樹木希林が9月15日、75歳で惜しまれて他界した。
2013年、全身がんを告白していたので、驚きはなかった。
死の直前まで仕事をしていたことには、脱帽するほかない。

20代のころから老け役だったというが、作りすぎの感があり、わたしは好きになれなかった。
役が実年齢に近づいたあたりから、樹木希林の味がでてきたように思う。
内田裕也をわたしは好きになれないし、その奇怪な夫婦関係にも興味はない。
1964年に岸田森と結婚し、1968年に離婚しているのがわたしには驚きだし、そちらに興味がある。

それにしても1年半で別居し、ひとり娘と3人の孫という財産を、生活を共にすることなく手中にしている内田裕也という男は滑稽だ。
ひとり娘・也哉子が元木雅弘と結婚したのは、ほんとうによかったと思う。
わたしのインスピレーションなので当たっていないかもしれないが、性格の悪そうな樹木希林に対し、元木雅弘は真逆にみえる。

    §

樹木希林が演じた作品でわたしが最も感心したのは、映画「あん」だ。
原作:ドリアン助川「あん」
監督・脚本:河瀨直美
公開:2015年5月30日

樹木希林が主役の徳江を演じている。
どら焼き屋「どら春」の求人募集の貼り紙をみて、手の不自由な徳江が雇ってくれと懇願する。
雇われ店長でやる気のない千太郎は、手渡された徳江の手作りのあんの絶品ぶりに驚き、雇うことにした。
徳江のあんを使ったどら焼きはおいしいと評判になり、店は繁盛する。
徳江からあんの作り方を教わるうちに、犯罪者の経歴をもつひとり暮らしの千太郎に、生きる活力が宿ってくる。

ところが店のオーナーが、徳江がハンセン病だったという噂を聞きつけ、千太郎に解雇を迫る。
噂が広まったせいか店は閑散とし、徳江は店を去る。

荒れる千太郎は、ワカナ(店の常連客の中学生)に誘われ、ハンセン病隔離施設で暮らす徳江と再会する。

わたしがこの映画で疑問だったのは、なぜ徳江が千太郎の店で働くことを渇望したのかということ。
千太郎においしいあん作りを伝授したかったのだろうか。
療養所で50年間作りつづけたあんを、みんなに味わってもらいたかったのか?
一心にあんと向かいあう徳江の真摯な姿は、映画を観る人間に伝わってくる。
千太郎のその後の人生を観てみたい。

樹木希林は徳江の過酷な人生を、言葉ではなく実存で表現していた。
そこが印象深く、作品を重厚にしていた。
原作者のドリアン助川は、樹木希林と河瀨直美監督を意識しながら作品を書いていたらしい。
ハンセン病をテーマにした映画「あん」がヒットしたのは、ハンセン病を生々しく描くのではなく、空気感として伝えようとしたからではないか。
ハンセン病は過酷な病なので、まっこうから描かれると、観る側は受けとめきれない。

    §

ハンセン病はわたしには重すぎて敬遠していた。
2008年7月、友だちに誘われて結純子のひとり芝居「地面の底が抜けたんです」を観た。

原作:藤本とし『地面の底が抜けたんです』
脚本・出演:結純子

芝居終了後、藤井としの本を買い、結純子にサインしてもらった。

藤井としは1919年生まれで、18歳のときに発病。
2度の自殺未遂。
当時は遺伝病といわれ、まさに生き地獄だった。

藤井としの本を読み、「全生園で北條民雄と一緒の時期があった」ことを知った。
結核病棟にいた北條民雄を見舞ったとき、診察をしていたお医者さんが「文学者としては優れた人だが、人間としてはゼロだ」といったという。
以前から北條民雄には関心があったが、きっかけがなかった。
「人間としてゼロ」と医師にいわれた患者の作品を、わたしは読みたくなった。
すぐにAmazonで北條民雄の全作品と評伝を入手し、憑かれたように読了した。

1914年生まれの北條民雄は、16歳のときにハンセン病の兆候があらわれ、18歳で遠縁の女性と結婚。
19歳、妻と別れたあと、ハンセン病の告知を受ける。
20歳、全生病院に入院した3カ月後、川端康成に手紙を書く。
22歳、「いのちの初夜」が「文學会」に掲載され、芥川賞候補となる。川端康成は、芥川賞の選考委員をつとめていた。
1937年12月5日、23歳で没。死因は腸結核に肺結核を併発。

38歳の川端康成は、創元社の小林茂とともに弔問。
葬式の費用を準備していた川端康成は、事務員に不要だといわれた。
数少ない弔問者のなかで、霊安所にまであがったのは、ふたりだけだったという。
霊安所で死に顔をみた川端康成は、小説『寒風』に巧みに描写している。
北條民雄から最初の手紙を受けとった36歳の川端康成は、懇意にしている慶應病院の医師から詳しく話を聞き、肺結核よりも感染力が低く、まったく問題がないということを知っていた。
死の前年、鎌倉駅前の蕎麦屋で、北條民雄と会っている。
生前会ったのはこの1回だけ。

北條民雄は1934年、20歳のとき、親友と華厳滝へ自殺に行き、親友だけが自殺している。
その後も自殺願望がありながら、北條民雄は23年の短い生を終えた。
一方、川端康成は1968年、ノーベル文学賞を受賞し、1972年、逗子の仕事部屋でガス自殺し、72年の生を閉じた。

北條民雄の「いのちの初夜」が第3回芥川賞を受賞しなかったのは、本名が露呈すると肉親縁者にとりかえしのつかない迷惑がかかるから。
出身地の阿南市が2年間にわたって本名を公開するように説得し、2014年、没後77年を経て本名が公開された。
本名は七條晃司(しちじょう・てるじ)。
名誉市民として本名が公開されたのかもしれないが、いまも本名を名乗れず、故郷に帰れない元ハンセン病患者が多いのだろう。

    §

結純子のひとり芝居を観るまでハンセン病は、長島愛生園に隔離されていた患者のために尽力した、精神科医・神谷美恵子と結びついていた。
芝居を観たあと、手元にある神谷美恵子に関する本を読み返しながら、あらためてハンセン病について考察する機会を得た。

1873年、ハンセン病は遺伝病ではなく、感染症だということがわかった。感染力は非常に弱い。
1941年、アメリカで特効薬プロミンによる治療がはじまり、よく効いた。

日本では1931年、らい予防法により、ハンセン病患者を療養所に強制的に入所させた。
1947年、日本でも特効薬プロミンによる治療がはじまり、厚生省が隔離緩和の方向でらい予防法を改正しようとした。
それを阻止したのは、現場の各隔離施設の園長たち。園の実態を暴露してゆく患者自治運動に対抗するため。それにより1953年、らい予防法(新法)が制定され、隔離の維持・強化につながった。
1996年、らい予防法廃止。

現在は、多剤併用療法による治療を行い、保険診療が適用され、一般の皮膚科外来で通院治療ができる。

ミュージカル映画「オペラ座の怪人」はハンセン病だった、という説がある。
原作にはハンセン病だと明記されていないが、「死神もよけて通るような顔」と表現されているという。
そういう設定でみると、怪人の孤絶感には圧倒される。
樹木希林にも孤絶感があるから、徳江を演じることができたのだろう。

 

 

 

朝ドラ『半分、青い』はスピリットメイトの物語

9月29日、『半分、青い』が終了した。
脚本は北川悦吏子のオリジナル作品。
それまでのわたしは、北川悦吏子には関心がなかった。
恋愛ドラマの神さまといわれる北川悦吏子が脚本を書いたドラマも観たが、あまり感銘を受けなかった。

が、『半分、青い』はダントツによかった。
話の展開が早く、退屈しているヒマがなかった。
佐藤健にとって、律ははまり役だったと思う。
佐藤健にしか演じられない律が存在する。
『半分、青い』に限らず、朝ドラの役者が主役はもちろん、脇役であっても輝いているのは、脚本がいいからだ。

印象深かったシーンをあげてみよう。

①鈴愛と律の初めてのキス

離婚後、退職した律と鈴愛が共同開発しているそよ風の扇風機の研究のため、律は徹夜になり会社(スパロウリズム)のソファーに毛布をかけて眠っていた。
朝、出勤した鈴愛に律は眼を閉じたまま、「入らないか」と誘う。
夢うつつのような感じで、ふたりはそっと唇を重ねる。
一瞬のできごと。
このシチュエーションでなければ成立しなかった、幻の時間。

同時期に、わたしは村田沙耶香の長編「地球星人」が『新潮』5月号に一挙掲載されたのを読んだ。
まさに傑作なのだが、そこに登場する奈月といとこの由宇の関係が、鈴愛と律の関係とぴったり重なる。

長野県にある奈月の父親の郷里・秋級で、奈月と由宇は毎夏、小学生同士の恋人として会っていた。
ふたりは小6のとき、祖父の葬式で行った秋級で「セックス」をする。
奈月が宙宇を誘導したかたちだが、宙宇が幼なすぎて肉体関係は成立しないが、この描写がすばらしい精神世界を構築している。
それは、まさに鈴愛と律の初めてのキスの世界と酷似している。

奈月と宙宇は、秘密を共有している。
奈月はポハピピンポボピア星人のピュート(ハリネズミのぬいぐるみ)から、地球を守る使命を託されている魔法少女だ。
宙宇は自分が宇宙人だと認識している。

鈴愛と律は1971年7月7日、同じ日に同じ病院で生まれた。
ふたりが生まれ育った岐阜県の田舎、梟町がドラマの主要舞台になる。
七夕がドラマでは大きな因子として機能している。
鈴愛が律を理解している以上に、律が鈴愛を理解しているようにドラマでは描かれている。
鈴愛の突飛な言動に対して、律は顔色を変えず受け入れる。

幼馴染が成長して40歳になった時点で、最終回となる。

東日本大震災が発生した2011年の7月11日、鈴愛と律が共同開発した「そよ風ファン」の発売記念パーティが、梟町のつくし食堂で開かれた。
鈴愛が、がんの手術をした母親のためにそよ風の扇風機をつくりたいと発奮したので、「マザー」と商品名は変えられた。

「地球星人」で秋級(あきしな)に該当するのが、『半分、青い』では梟(ふくろう)町。
単なる田舎ではなく、ユートピアとして描かれている。

鈴愛と律、奈月と宙宇は、スピリットメイトだと思う。
映画『君の名は。』の三葉と瀧の関係と同じだ。

余談だが、奈月が34歳のとき、偽装結婚した男が秋級に興味を示したので、秋級でひとり暮らしをする宙宇を訪ねる。
そこから3人の奇想天外な物語が展開するのだが、わたしには近未来の地球に視えた。
いまの地球のほうが、よほどおかしい。

②律の結婚に衝撃をうける鈴愛

28歳になった鈴愛は、漫画家としての才能に限界を感じていた。
ストーリーが描けない。

律から結婚を知らせるハガキを受けとった秋風は、悩ましい顔をしていた。
意を決して秋風が律の携帯に電話をした。
律は会社にいたので、屋上に移動する。
ハガキをだしたのは妻のより子だったらしい。
律は鈴愛に振られてショックだった、と秋風に告白する。

鈴愛にも同じハガキが届き、母親の晴さんに電話をして事実確認をする。

呆然自失の鈴愛は、新作漫画の締め切りを放棄し、秋風ハウスから姿を消す。
手にハガキを握りしめ、着の身着のままで大阪の律の家のまえに立つ鈴愛。
2階のベランダに姿をあらわした律の妻らしき女性は、家に案内すべく声をかける。
「いま、お義母さんがいらっしゃってるのよ」と余裕のある顔でいう。

逃げるように立ち去る鈴愛。

短いシーンだが、わたしは胸をえぐられる想いで観た。
まず思ったのは、笛を吹いて「りつーっ」と呼んでも、律には鈴愛より優先すべき女性がいる。
かつて夏虫駅で律にプにロポーズされたとき、「無理」と即答した鈴愛だった。
「いまは漫画を辞められないので、東京から離れることはできない」という意味だったが、律は振られたと解釈した。

失ってみてはじめてわかった律の存在感。

③仙吉が88歳で大往生

1920年生まれの仙吉を演じたのは、中村雅俊。
歌のうまいおじいちゃんとして登場する。
歌手だったことを忘れさせるほど、役者としていい味をだしていた。

離婚して娘のカンちゃんと実家に戻った鈴愛は、五平餅の店をオープンしようと、仙吉から特訓を受けていた。
ふだんはやさしい仙吉だが、五平餅づくりに関してはなかなかきびしい。

仙吉は自室で座椅子にもたれかかっていた。
なんとなく画面から仙吉の死を感じさせるような空気が漂う。
カンちゃんがやってきて、「保育園で昼寝できなかった」といい、仙吉の胸で眠ってしまった。
仙吉は「幸せや」とつぶやきながら眠るように絶命。

鈴愛の努力の成果があり、師匠の味を超えたと評価された五平餅を、さっそく師匠に味見してもらおうと仙吉の部屋に入った鈴愛は、座椅子で息絶えている仙吉を発見する。

2号店のオープンをみることもなく、鈴愛の完成した五平餅を味わうこともないまま、仙吉は逝った。

「楽しみにしたまま死ぬのも幸せ」という仙吉の人生哲学である。

④律の母・和子が拡張型心筋症を患う

律の母・和子(わこ)を演じている原田知世は、若いころより美しくなったとわたしは思う。

律の父親・弥一を演じる谷原章介は、聡明で微笑を絶やさないが、肝心なところをいつも押さえている。
優等生の律の大学受験に際し、息子の「学力」を冷静に把握していた弥一に脱帽した。

萩尾写真館を営む萩尾家は、、洋風の家に住み、静かで理想的な家庭だ。
つくし食堂を営む楡野家は、にぎやかでみんなが大声で笑っている。
律と鈴愛は、家のカラーである動と静を体現している。
鈴愛の弟・草太は、楡野家にしては上品だ。

律の母・和子さんは、鈴愛の母・晴さんのよき相談相手で、的確なアドバイスを穏やかな口調でできる才女だ。

鈴愛が離婚して梟町にもどったころ、律は母・和子を看とるため、実家から通える勤務地に単身赴任していた。

遠く離れていた2本のレールが近づき、並行して走っているという安心感がある。

ある日、カンちゃんが萩尾家を訪ねると、和子さんの体調が悪く、自室のベッドで寝ていた。
カンちゃは、和子さんに歌をうたいたいといい、2階へ上がる。
和子は「入ってもいいよ」といったが、カンちゃんは恥ずかしいからと、ドアごしに童謡「ふるさと」をうたう。
律の声も混ざっている。
それを聴きながら声を殺して泣く和子さんの姿に、わたしは打たれた。

やさしい夫とやさしいひとり息子に見守られている和子さんは、死にゆくものの孤独感をにじませていた。
いつも明るくふるまっている和子さんの内面が、噴出した感じだ。

おもしろいのは、カンちゃんが実の父親のように律になつき、律を呼ぶ笛を鈴愛から譲り受け、「りつーっ」と律の家のまえに立ち、律の部屋にむけて叫ぶのである。
以後、笛が鳴ると律は、「鈴愛か、カンちゃんか?」とつぶやく。

なお、和子さんは律と鈴愛の結婚を望んでいて、弥一も口にはださないが、同感のようだ。
律の妻・より子は律の出世にしか興味がなく、律の両親とも疎遠だ。
のちに離婚したのは、律が出世コースからはずれたからか?

    §

ドラマが終了してから、自然の流れで脚本を書いた北川悦吏子のツイッターをみるようになった。
なにか様子がおかしいと感じていたら、北川悦吏子は慶應病院に入院していた。
脚本執筆中に2度入院したが、病院で執筆をつづけ、1度も原稿を落とさなかったという。

調べてみて、驚いた。
北川悦吏子は国が難病に指定している炎症性腸疾患を患い、2010年に大腸全摘手術を受けた。
さらに2012年、聴神経腫瘍により左耳が聴こえなくなった。
ドラマの鈴愛と同じである。

自らNHKに企画をもちこんで朝ドラの脚本を書いた北川悦吏子は、書くことで救済されたのだろう。
が、肉体は悲鳴をあげていた。
生と死、ぎりぎりのところで書かれた『半分、青い』は密度が濃く、忘れがたい作品である。

エンジェルス 今季最終戦

9月30日(日本時間10月1日)、今季最終となったアスレチック戦、大谷翔平は3番・DHで出場した。
凡退つづきで迎えた9回裏、大谷はボール1、ストライク2という追いつめられたカウントで、高めの速球を中前にはじき返した。
つづくマルテの2塁打で、大谷は1塁から一気に生還する俊足ぶりをみせつけた。
1点差となり、エンジェルスのベンチが沸いた。

つぎにルーキーのウォードが逆転サヨナラ2ランを放ち、エンジェルスは粘り勝ちした。

最終戦をエンジェルスは、劇的勝利で締めくくった。

試合終了後、慌ただしい空気のなか大谷が短いインタビューに応えた。
毎日、楽しかった、エンジェルスでプレーできて幸せだった、と。
同時に、球場のスクリーンには退任の記者会見をするソーシア監督の姿が映しだされていた。
インタビューを終えた大谷は、足早にベンチの奥に消えた。

いままで退任の噂を否定していたソーシア監督は、会見でトラウトらの選手が見守るなか、「とても幸せな男だ。指揮するのが好きだった。すばらしい経験をした」と涙ながらに語った。

ソーシア監督、エンジェルスでの19年間、お疲れさまでした‼
人相の悪い監督が多いなか、ソーシア監督の品のある顔がわたしは好きだった。
審判に抗議して退場になった試合が2回あったけれど、投手陣が軟弱で自滅した試合が多くても、ポーカーフェイスのソーシア監督に救われた。
選手にあまりにも失望した場面では、首を振っていたが、露骨に不愉快な顔をみせなかった。

最期の1年、ソーシア監督と大谷翔平は、まさに一期一会だった。
球場での監督は、わたしには大谷翔平のお父さんにみえていた。
試合中に大谷にトラブルが発生すると、ソーシア監督が飛びだしてきた。
もちろん監督として心配だろうが、子どもに対する父親の姿にみえてしかたがなかった。

エンジェルスから再契約を求められているトラウトも、2020年には移籍するだろう。

    §

10月1日、大谷翔平がア・リーグで9月の月間最優秀賞新人に選ばれた。
4月につづいて2度目。
ア・リーグの月間MVPにはトラウトが選ばれた。

ア・リーグの新人王候補に大谷は挙がっている。
大谷が対戦して最も印象に残った投手として名前を挙げたバーランダー投手も、大谷を新人賞に推している。
11月に発表される新人王は、大谷翔平だろう。
ほかの選手と比較できない偉業をなしたから。
二刀流だけではなく、右肘を損傷しながらも、すばらしい成績を残した。
投手として10試合に先発登板し、4勝2敗、防御率3・31。
打者として104試合で打率2割8分5厘、22本塁打、61打点、10盗塁。

こうして成績を数字で並べると、BS1の中継を録画し、LIVEを観てきたわたしには、印象的な場面が幾つも浮かぶ。
試合の結果と感想をLINEで友だちに送信し、大谷翔平を共有してきた。
かなりの時間とエネルギーを費やしてきた。
投手としての大谷を観るのはストレスを伴ったが、過去に投げた映像が流れると、カッコいいなと思う。
チームメイトと笑顔でじゃれあっている大谷もかわいいが、一匹狼としてマウンドに立つ大谷に魅了される。

大谷翔平の新人としての輝かしい成績とは別の次元で、最大の功績は「みんなをワクワクさせハッピーにした」ことだと思う。
弱肉強食のメジャーリーグの世界に野球少年がまぎれこんで、なにやら大活躍しているという清々しさは、ひとびとを平和に導く。    

    § 

最終試合の余韻に浸る間もなく、翌日の10月1日(日本時間2日)午前、大谷はロサンゼルス市内でトミー・ジョン手術を受け、成功したという。
手術をしたのはスーパードクター・エラトロッシュ医師。

「一からやり直したい」とリハビリへの抱負を語った大谷。
「凡退にも意味がある」という哲学をもつ大谷は、投手としてリハビリしながら打者として活躍する来季、まちがいなく進化しているだろう。

2020年に二刀流の大谷翔平が観られるよう、わたしは祈りつづけたい。

大谷翔平がトミー・ジョン手術を決断

9月26日、大谷選手が今季の試合終了後、右肘の靭帯再建手術を受けると、球団が発表した。
決定直後、大谷は早出特打をやり、特大弾を放っていたという。
落ちこむヒマがあれば、いまなすべきことをなす、という大谷の哲学を見習うのはむずかしい。
エンジェルスのソーシア監督も脱帽するような、タフネスな心身をもっている大谷である。

先日のアストロズ戦で、先発投手のバーランダーに太刀打ちできなかった大谷だった。
(前試合で大谷は、バーランダーから本塁打を放った)。
試合後のふたりの話をYouTubeで観た。
バーランダーは身体を傷めないような投球内容とメンテナンスを実行している。
「大谷のプレイを観るのが楽しい」というバーランダーの発言は、野球に詳しくないわたしも同感だ。

観るひとをワクワクさせる大谷は、野球の神さまに選ばれた選手だと思う。
投手としての大谷を観るのは、わたしには苦しかった。
観ているだけで、気を抜けなかった。

弱肉強食の世界で、日本人が失った美徳をもち、自己の成績よりチームに貢献できたかどうかを優先させる大谷翔平。
野球に詳しくないわたしが、BS1の放映を録画して、大谷ウォッチングをつづけてきた。
わたしを含め、野球に興味のなかった高齢女性をも魅了した大谷の功績は大きい。

大谷のお行儀のよさを挙げてみよう。

①ツバを吐かない。
②四球のとき、バットを投げ捨てないで、ていねいに置く。
③出塁したとき、ベースの砂をはらう。
④本塁打で生還し、ベンチでハイタッチするとき、自分から手をださず、チームメイトに合わせる。
⑤ハイタッチではなくお辞儀をするチームメイトには、お辞儀を返す。
⑥試合後のインタビューで自己の活躍を口にせず、チームに貢献できたことを喜ぶ。

なにより感心するのは、投げる・打つ・走るというすべての動作が美しい‼

LIVEで観ながら、大谷の仕草をチェックするのも愉しい。
ちなみに大谷は笑顔が似合うが、イチローに笑顔は似合わない。
試合に出場しなくなったイチローは、いつも笑顔だ。
正直なところ、気分が悪くなる。
わたしの周辺の女性たちは、同感してくれている。

大谷の豪快な本塁打は壮観だが、技ありの安打にはしびれる。
ちなみにエンジェルスのシモンズも、はじめから気に入った。
飄々としているのが、観ていて愉しい。
シモンズが名手だというのは、あとで知った。
シモンズは本塁打を放って生還したとき、十字を切ったあと、天を仰いでなにやら感謝しているような顔でつぶやいている。
信仰をもっているのだろう。

大谷・シモンズ・トラウトは、漫画に登場できるキャラだ。

大谷は球場全体の空間をからだで把握しているように、わたしには視える。